2007년 10월 22일 월요일

携帯電話についての断想

携帯電話がなければ禁断現象が現れると言う人が多い。特に、活動的な二、三十代の若い人々にとっては携帯電話は服や履物のようにないのがむしろ不自然だ。私にも携帯電話は不可欠なものとなっている。たった一、二時間も携帯電話を身につけていなかったら、いらいらする気持ちになる。思ってみると、携帯電話はとても不便な文明の利器だ。ある研究によると、携帯電話が出てから人々の労働強度がずっと強くなったそうだ。と言うのは、事務所からしばらく出てどこかで少し休もうとすれば携帯電話で呼んで休む暇をやらない。週末にも携帯電話で呼び出して仕事をさせる。でも、私の友達の中には携帯電話なしにも問題なく生きている者もいる。職業がフリーランサーである友達は、「使ったことがないから何がいいか、どうして必要だと言うのか分からない」と言う。もちろんその友達の周りの人々は不便に思うかもしれないけれども、携帯電話をなくす勇気のない私は時々彼がうらやましい。 携帯電話のもう一つの問題は、みんなが辛抱強さがなくなるということだ。携帯電話でいつでも連絡することができなければならないと思うるから、「待ち」は罪悪視される。人々が「待ち」の意味をだんだん忘れているのには携帯電話も大きい役割をしていると思う。

댓글 1개:

Hiroshi :

私もどこかで携帯電話がないと禁断症状が出て、不安になってしまうという話を読んだことがあります。それはちょっと便利なはずの電話に使われているという感じですね。

待たなくなったのは本当にそうですね。昔、人と待ち合わせをするときは時間をちゃんと決めて、そして新宿とか大きな駅で待ち合わせるときには細かく場所を決めて会うようにしました。それが今では、「6時ごろ、新宿ら辺で」というあいまいな決め方になって、約束の時間にお互いに電話をしてあう場所を決めたりするようになりました。それはもっと自由があってよさそうですが、なんだか昔のほうが良かったような気もします。

それは私が年をとってしまっただけなのかもしれませんが。。。。